Degital World Becoming

SIer兼電気機器メーカーで働くIT営業マンの私が、「今後世の中はデジタル化の結果こうなっていく」というある種妄想じみた未来予測を投稿。

ドイツからキューバに飛ぶ飛行機の中で価値観が少し変わった話。

1.ドイツからキューバ行きの飛行機に搭乗

学生時代、ドイツに2週間くらい一人旅したことがある。ドイツを旅した後、次に向かったのは大西洋を隔てた向う側にある「キューバ」だった。

今でも覚えているが、キューバ行きの飛行機の中はカップルか家族連れの西洋人が多かった。キューバへはドイツから直行便が飛んでおり、おそらく日本にとってのハワイと同じ感覚で、ドイツ人はキューバに行くのだろうか、と思った。

 

2.機内で隣のシートが空いていた話

機内に搭乗すると、私の隣のシートが空いていた。私は機内でちょうど真ん中に位置する3列シートの右通路側に座り、もう反対の通路側には若い女性の西洋人が座っていた。つまり、私とその若い女性の間に空白のシートがあることになる。

 

この「空いていたシート」と「若い女性」が私の価値観を少しだけ変えたのだ。

 

とても些細な話だ。価値観を変えたといっても、なんだそんなことか、と思われるかもしれない。

私にとってそれは衝撃的だった。私の隣で空いていたシートに、その「若い女性」が寝そべり始めたのである。

 

その女性は、自分のシートと、私の隣の空いていたシートの二つを占領して寝そべった。私の隣に女性の横たわった頭が位置する形だ。

 

日本人的感覚の私からすると、空いているシートを勝手に占領するのは大変失礼に感じた。特に、3列の真ん中だけ空いている場合、空白シートを隔てて座っている人に対して遠慮する気持ちが私にはあった。そんなことをおかまいなしに、この女性は空白のシートを占領してきた。日本ではなかなかあり得ない光景である。

しかしながら、ここは日本ではなかった。ドイツだった。なんなら、キューバ行きの飛行機の中であった。

私ははたと気付いた。「そうか、これが西洋人の感覚なんだ」と。そして、「日本人である私が感じる、この女性に対する不満こそ、非常に特異なものなのではないか」と。

 

3.西洋人の感覚と日本人の感覚

おそらくこの若い女性は、「空いてるんでしょ?その隣に座っているあなたも使わないでしょ?なら、私が占領しても問題ないじゃない」という感覚だったんだろう。おそらく、これが普通の西洋人的感覚だ。

よく言われるが、西洋では「私が迷惑をかけるから、あなたも私に迷惑かけていいよ」という感覚があるといわれる。それがおそらく非常に生きやすい社会を形作っている原因ともいわれるし、息苦しくない社会の前提条件であるのだろう。

 

日本人である私は、無意識に自分の行動の範囲を制限してしまっていたのだろう。「相手に迷惑をかけないように」という無意識化での抑制が、どうしても空いているシートを使おうという感覚に私をさせなかった。これこそ、日本人の生活に息苦しさが潜んでいる原因のひとつなのかもしれない。

 

私は、キューバ行きの飛行機の中でそんなことを思った。

 

4.まとめ

結局のところ、私たちが息苦しさを感じるとき、それは自分の中にある価値観が自分をがんじがらめにしている時なのかもしれない。日本人の場合は特にそれが顕著だろう。

 

小学校の頃私は、友達の家に泊まりに行ったとき、好き勝手騒いでいた。しかし、大人になり、人の家(特に家族持ち)の家に泊まりに行く際は、縮こまった小動物のようにおとなしくするようになった。相手に迷惑をかけないように、といった感覚が自分を制限しているからだ。また、そういった「迷惑をかけないように」という感覚が、成長するにつれ醸成されてきたからでもある。

 

おそらく、西洋人にとって日本の行動規範は不思議に映る事だろう。「なんでそんなに縛られているの?」突拍子もないが、それに気づけた日本人だけが、おそらくこの社会で、物事を打開する力を手にすることができるのではないか。困難に直面した時に、なにか新しいことをやろうとする時に、きっと日本人特有の「縛られている感覚」はきっと邪魔になる。私たちはこの「自分を縛っているもの」をしっかり認識する必要がある。

 

「自分を縛っているものを知ろう、そして時には自分を縛っているものと戦おう」。

 キューバ行きの飛行機の中で、感じたのだった。